日本武尊が東征の途中に参拝したと伝えられる古社で、国内唯一の「漬物の神」が祀られている。また良縁に恵まれるといわれる「連理の榊」があり、毎年4月には縁結びと豊作を祈る献榊祭が開催される。なお神社の近くでは戦国時代、前田利家が初陣を飾った萱津の戦いが行われた。
縁起によると推古天皇5年(597)に伊勢の猟師が海中から聖観音菩薩を引き上げ、それを草庵に祀ったのが甚目寺観音の始まりとされる。東海三十六不動尊霊場第五番札所。尾張三十三観音第十六番札所。尾張四観音の1つでもある。南大門、三重塔、東門など国指定重要文化財も多い。南大門の仁王像は福島正則が清須城城主時代に奉納したもの。
七宝町沖之島は、前田利家の妻まつ(後の芳春院)の生誕推定地。まつは、篠原主計の子といわれるが、地元では沖之島の郷主林日開常信の子で荒子城主・前田利春がもらい受け、荒子の篠原主計の養女としたという。その生誕推定地に、芳春院顕彰札が立てられている。
「米づくりと昔のくらし」「郷土の歴史とくらしの道具」をテーマとした民俗資料の展示のほか、美和地区の遺跡から出土した考古遺物や蜂須賀小六、福島正則などの戦国武将らの肖像画や錦絵、さらに甘粕事件や二・二六事件を担当した陸軍法務官・小川關治郎に関する資料などを展示しています。
鎌倉時代に創建、文禄元年より禅宗として開山。福島正則の菩提寺として知られ、正則の位牌や護持仏の毘沙門天立像、肖像画が奉納されている。菊泉院の南に福島正則生誕地碑が、また西側には正則が修復造営したと伝えられる二ツ寺神明社があるなど、菊泉院周辺には正則ゆかりの史跡が残されている。
法蔵寺の本尊は、寛喜2年(1230)の銘をもつ鉄造地蔵菩薩立像(鉄地蔵)。寺伝によれば、桶狭間の戦いの折、蜂須賀小六が戦勝祈願に持参しようと蓮華寺から地蔵をこの地まで動かしたものの重さに諦め、地蔵が手に持っていた錫杖を持参し勝利を得た。その後地蔵を祀り寺が建立されたという。
蜂須賀弘法と親しまれている蓮華寺は、弘法大師が開いたと伝えられ古刹で、蜂須賀小六正勝とその子家政の菩提寺。家政は、本殿、客殿および仁王門を寄進した(仁王門のみ現在に伝わる)。寺の周辺は蜂須賀郷と呼ばれ小六正勝はこの地に生まれた。蓮華寺の南には「蜂須賀小六正勝公碑」と「蜂須賀城趾」の石碑が建てられている。